セラミックスフィーバー
せらみっくすふぃーばー Ceramics Feverセラミックスフィーバーは、1980年代にムーンライト計画がきっかけで起きた、セラミックスを幅広く産業用機器に活用しようという熱狂的社会現象です。このセラミックスフィーバーの影響で、それまでセラミックスとは縁遠い企業までが、ファインセラミックスの研究をスタートしています。当時各地ではセラミックスの展示会なども行われ、部分安定化ジルコニアで作られた包丁はヒット商品となり、金属製の刃物製品まで白い塗装が施される、という珍事まで登場しました。筑波学園都市にある無機材質研究所(現在は物質材料研究機構の一部門になっています。)には連日企業からの訪問者だけで無く、一般市民の見学者まで押し寄せました。
とにもかくにも、専門性の高い材料技術開発のイノベーションが、日本国民を巻き込んでお祭り騒ぎに発展し、やがてそれが世界に波及し、アメリカ発のナノテクノロジーブームへと発展してゆきます。
そもそも、セラミックスとは「焼き固めたもの」という意味の言葉が由来で、トイレの便器などが代表的な製品でした。土器から始まる人類の長いセラミックス開発の歴史で克服困難とされた、材料としての重大欠点「割れやすさ(脆さ、靱性が低い)」が、科学的に解析され、その解決策を実現した第一号としてセラミックス包丁が登場したのは、画期的な出来事でした。技術はオールセラミックスエンジンを作り出せるレベルまで発展したましたが、コストの問題を克服できず、汎用自動車用エンジン部品としては、プラグ、ターボチャージャー用タービン、イグニションヒーターなど一部の応用にとどまっています。
実は1980年代のセラミックスフィーバーは、セラミックス材料について2度目のフィーバーで、1度目は1950年前後に起きていると伝えられています。このブームでは、セラミックスコンデンサーやピエゾ素子などに応用されている圧電素子を生み出しています。しかし、1980年代のブームはエレクトロニクスからエンジニアリングまですべての分野を含み、日本窯業協会という学会も「日本セラミックス協会」とカンバンを掛け替えるぐらいのイノベーションでした。